トルティーヤを焼いて、チリトマトソースを作って、野菜の具を挟んで食べた。
アボカドやチーズが高いから買いたくない、とか、欲しい野菜が綺麗じゃないどころか傷んでる、とか、どうして食べ物をミネラルウォーターで洗わなきゃいけない程の水道の水の臭さなの、とか、気分転換に外に出れば排気ガスにまみれている気分で散歩を続ける気も失せ、買ってみたお菓子がまずい事にもイラつき、毎日何かしら文句を言ってフラストレーションが溜まる一方の自分にがっくりする。ぬるい湯につかって生きてきすぎたのかもしれない。
昨日から、マクに誘われた韓国語講座に参加することにした。
丁度昨日から始まったばかりで、週に3回、1回につき2時間、3ヶ月で1レベルのくくりで15000円程というありがたい料金体制で、先生は大学で韓国語を教えているらしい。
私達2人の他に、アメリカから2人、インドネシア、ベトナムから1人ずつだ。
初回のはずなのに、既に文字が読めているでしょうというスタンスで授業は始まったので、ついていくのに冷や汗もんだった。
先生の英語の片言具合も相当なもので、ある意味場が和んで楽しかった。
流暢に英語を話されても理解出来ない私にとっては、むしろ良かったと思う。
そして、授業の前、マクの同僚の日本人とフランス人と一緒に大学の学食で晩御飯を食べた。
これから、週に3回の授業の前は彼らと一緒に夕食をとることになったらしい。
韓国人の彼女を持つフランス人の彼は、食べ物以外は今のところこっちの生活に問題ない、らしく、日本人の彼は、色々とストレスもあるけど、外国に出る以上前向きでいないとやってられないよね、という事だった。
マクからは、限りある中で最良をみつける事に慣れていかないと、と言われた。
心がけようとは思っているんだけどね、もっと地球上の大変な地域に行くほどの心構えが出来ていればよかったのだろうが、中途半端に期待をしてしまっただけにこの有様、自分勝手な失望感を払拭できずにいる。
でも、きっと徐々にここでの日々に慣れていけることを願う。
帰りに寄ったスーパーでは、米売り場が分からずに、単語だけは知っているマクが店員に場所を聞いてくれた。
その店員も実は場所を知らないまま右往左往、他の店員に2度尋ね、たどり着いた先がどうやら”(インスタントの)ご飯”だった。これじゃなくて大きな袋に入ったアレ、とジャスチャーで伝えると、傍にいた別の店員に教えてもらって、米売り場まで案内してくれた。日本の”ご飯”と”米”のように単語が違うんですね。
親切な店員さん、どうもありがとう。