部屋の掃除は、お疲れのところ、5時間かけて殆どマクがしてくれた。
朝、私達を迎えに来たマクのおじいちゃんは、彼に再び祝いの言葉を贈った。
南仏の澄み切った青い空に別れを告げ、マクの祖父母とお母さん、私達の計5人+大荷物は北に向かって朝9時に出発した。
ヌガーで有名なモンテリマルのサービスエリアには、そこに何があるかを示す高速道路脇の看板のカフェマークやガソリンスタンドマークと並んで、”ヌガー”の文字があった。フランス人が、サービスエリアで土産物を売る気がある事が意外だ。
美食の町リヨンの街中に建ついくつかのアパルトマンのベランダの柵は、アンティークのレースのように繊細で線も細く、私が車のそちら側の座席に座っていたら是非写真を撮っておきたかった。
ディジョンマスタードで有名なディジョンでは、一面の雪に身震いをしながらガソリンを入れた。
行きもここでガソリンを補充したので、帰りもここで、と決めていたらしい。
パリから北東の町リールまでの間の高速道路は、大雪の恐れがあるせいかトラックが夜6時以降は走れないらしく、
10cm間隔で(!!)ものすごい数のトラックが整列していた。おつかれさまです。
運転は、マクとお母さんも数時間ずつしたが、おじいちゃんがおそらく半分以上を一人でひきうけ、夜10時に北の実家に着いた。
マクはゲイの方々に人気がある、と話すと、おじいちゃんもそうよ!、という事だった。血は争えない。
お母さんは、おじいちゃんの運転を見張るために、眠たくても休まなかった。
私は日中はほぼ寝ていたが、さすがによく寝て起きぬけにラジオで聞くフランス語の響きは心地が良かった。
普段は特別にそうは感じないが、ラジオは耳からしか情報が入らないので、感覚も敏感になるのだろうか。
特に、クラシック音楽のチャンネルの女性の解説者の声が気に入った。
わざとらしく耳元でささやかれる感じではなく、木製の打楽器やお湯の沸くコポコポというリズミカルな音に似ていた。
普段は何を言っているのか分からないコントも、設定が”戦場から恋人に送る手紙”で、内容をかみ締めながら読んでいるので、外国特有の”ベタな笑い”が私にも理解出来、クスッと笑った。
約3年振りに、ここにも戻ってきた。
朝、窓の外に見える空は、南とは少し違う水色だった。
いつもの灰色じゃない、まさに、今日にふさわしい空だ。